2004年9月 7日 (火)
イラスト 昨日の続き
小さい子供が人形を離せないように。
ジンジャーカラーに白いソックスのトマシーナ
メアリ・ルーが肩に乗せて街をゆけば、
赤毛同士が溶け合って
どこからが猫かわからないようだよ、と街の人々。
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何が描きたかったかというと毛ですね ……
毛で力尽きて、服の布の感じは、えらい手抜きです。
どうも、この手の女の子を描くと、きたのじゅんこ風になりまする。
メアリ・ルーは、本の中では「特に器量がいいわけでない、普通の女の子」とあるんですが、まぁせっかくですから可愛く描いてみました。(なにがせっかくなんだか、よくわかんないけど)
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ソフトは Photo Deluxe for Family
Photo Shop、Paint Shop、イラレなんかより、はっきり言ってお利口でないソフトなんですが、ツールの「指先」が毛を描くのにイイのです。
手持ちの中で一番お利口でないソフトが一番使いやすい私は、お利口でないのかもしれませんー。
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『トマシーナ』 ポール・ギャリコ
片田舎の獣医マクデューイ氏は、動物に愛情も関心も抱かない。 一人娘メアリ・ルーが可愛がっていた猫、トマシーナが病気になったとき、彼は安楽死を選んだ。 そのときから心を閉ざすメアリ・ルー。 町はずれに動物たちと暮らす<<魔女>>ローリとの出会いがトマシーナに新たな魂を与え、そして二人を変える。 『ジェニー』と並ぶ猫ファンタジイの名作。 (創元推理文庫、表紙の内容紹介)
この物語の良さをどこに見い出すかによるのだろうが、本編の読後に「内容紹介」を今こうして再度読んでみると、私的にはズレを感じる紹介だ。 内容紹介ってそんなものかもしれない。 何百ページものストーリーの紹介を数行でするのだから。
だが、マクデューイ氏の「偏屈」と「トマシーナに安楽死」には、どんな理由と事情があったのか、と読んでみる気になったのだから、「紹介」として成功しているとも言える。
『ジェニー』が、人間視点2:猫視点8、とすると、『トマシーナ』は、人間視点8:猫視点2、だろうか。
『ジェニー』から猫視点を取ってしまうと物語にならないのだが、『トマシーナ』は猫視点を省いても、物語になる。
それは、登場する大人達の生き様が各々背反しながらも絡み合って「人間」や「生き方」を考えさせてくれる物語だ。 登場する子供達には、子供達なりの世界があって、子供だった頃の自分の「気持ち」や「行動」を思い出させてくれるだろう。
マクデューイ氏の懊悩・自問を軸に物語が出来てしまうところに、トマシーナそしてバスト・ラー、という猫視点を混ぜることで、ありきたりな小説になることを回避したのか、とも感じられた。 それくらい、猫視点がなくても、読み応えのあるテーマが込められていると思う。
望んだ道に進むことが出来なかったマクデューイ氏は自分の職業が好きではない。 妻にも先立たれ、思い通りにならない(ならなかった)人生への鬱屈を抱えながら、残された娘に愛情を注ぎ、娘の愛情を求めるマクデューイ氏に、人間の我が儘を見るか、弱さを見るか。
マクデューイ氏の友人として登場するペディ牧師とのやりとりからは、無神論者とそうでない者では、どちらが強いのか弱いのか、と考えさせられる。
メアリーは、4歳の時に母親を亡くしている。 その寂しさや行き場のない愛情を抱え、飼い猫のトマシーナを離すことができなかった。 そのトマシーナを父親に安楽死させられたことから、物語は大きく動いていく。 メアリーの心の閉ざし方は、子供なのに、いや子供だからか、それはそれは激しい。
ローリは魔女と呼ばれているが、魔女ではない。 ケガをしたり病気になったりして彼女を頼ってくる動物たちと、心を通わすように、森の中でひっそりと暮らす女性。 ローリからは「魔女」「いかれたローリ」と呼ばれる一つの生き方を考えてみるのも面白い。
【蛇足】
ジェニーにも言えるのだけど、トマシーナもイギリス病だ。 んー、舞台がイギリスだからいいんだけど。 ここでいうイギリス病というのは、出自や家系というものに拘って、相手より自分が上とみると自慢したがること。(苦笑)
猫の誇りだけじゃ、収まらないのね。 猫以外には猫としての誇りを持って、猫同士では自分の血筋に誇りを持って、ギャリコの猫はどこまでも誇り高い。
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